前の日記にも書いたけど、祖父が亡くなった。もう何年か前に父方の祖母が亡くなった時の話を書いた記憶がある。そのときと同じ感情で、正直一緒にほとんど時間を過ごしていない人はたとえそれが血を分けた祖父・祖母とは言えど衝撃はあまりなかった。失って悲しい気持ちというよりは単純に、ああ、そのときが来てしまったんだなという認識だった。

ただ、今回の祖父の件が以前の祖母の件と違うのは、自分が日本にいたこと。祖母の場合、確か自分はすでにアメリカにいたかなにかでそもそも葬儀の一連の儀式に参加していなかった。

今回は実は人生始めての葬儀。前述のようにそういう事があっても日本にいなかったりしてまったくこの手の冠婚葬祭に参加していないのだ。ともあれ、今回葬儀って面倒だけど重要だなぁ、という他色々思うところがあったので自身の記録のためにも書いておく。

9月28日に危篤の報を受けたものの、とりあえず当日は色々とあったため、次の日に病院に行くことに。次の日行ったら鎮静剤だかなんだかが効いているのか、ぐっすりと寝ていてなんか大丈夫そうな雰囲気が出てたのでとりあえず東京に戻り、アポ2件をこなした。

夜中に携帯の電池が切れたまま寝てたのだが、どうやらその間に容態が急変したらしい。9/30の朝方に祖父は亡くなってしまった。その日のうちに近親が集まり、葬儀屋も来てその後の予定がばんばんと組み上げられる。会社のスタッフに香典を用意してもらう手はずや、花をあげる用意を親経由でお願いしたり。

葬儀屋という人たちは淡々とこういう手はずを整えていってしまい、しかも商売にしてしまうのが端から見るとちょっといやな感じがするかもしれないけれど、死というのはいつも突然来る物であろうことから親族にはどうせその時点では判断能力がないわけで、そういう意味ではレールに乗っかっていれば数日内にそれなりの葬儀ができてしまうというのは良いことなんだろうな。

お通夜を10/2に行った。家から斎場に連れて行くために納棺をしなくてはいけないわけだが、ここでも葬儀屋というか、葬儀という儀式にちょっと感心してしまった。死出の旅のための服装を整えるという名目で手足と頭にいくつかの旅装をつける儀式があった。それまで自分は祖父の体には(怖くて)さわらなかったのだけれども、二人一組で足や手を持ち上げながら一結びずつ紐を結わえて行かないといけないこの儀式では必ず遺体に手を触れないとこなせない。この段階でドライアイスで冷え切った体からはとっくに生気がない現実に直面させられる。

祖父の体は冷たくて硬かった。

服装が整えられた後、シーツで祖父の体をくるむようにして、男連中と葬儀屋の人で棺の中に入れる。重い・・・が、同時に軽い。こんなに軽かったのか、とここでもまた死を認識させられる。

お通夜は至極普通に。坊さんが来て、読経をしながら後ろでお香をあげていく。その後来ていた遠い親戚の人たちも合わせて夕食。30年ぶりに会う人とか。さすがに酒はまずいだろうと思ってジュースを飲んでいたが、酒を飲んでいる人もちらほら。まぁにぎやかなほうがいいよね、とは正直思う。出された寿司が普通にうまかった。

その日は実家に泊まり。さすがにここでは帰り際にビールを買い、かっくらってから就寝。

翌日は昼過ぎから告別式。告別式自体も特にどうこうということはなく。全日と同じく坊さんが読経するなか、お香をあげる。今時はやはり葬儀の直後すぎて人が集まりづらいのか、初七日の読経も告別式中に済ませてしまうらしい。その後棺にふたをする前に献花を短く切ったものを棺に入れていく。最後のお別れというものか。

本来なら釘でふたを固定するべきなんだろうが、多分火葬場の施設の問題だろう。釘等は特に使わず(棺に金属製の物を入れるのも控えるように言われたので、多分金属がいけないのかと思われる)、みんなで手をふたにかけ、釘打ちに代える。男衆はその後霊柩車に棺を納め、火葬場に。

火葬場では(多分ここで人間の姿をしているのが最後だし、家によっては一悶着ありそうな感じもあるからだと思うが)もう有無を言わせず、棺を焼き場の炉の中に入れる。今回の一連の葬儀の中ではここが一番嫌だった。病院の匂いというか、老人ホームの匂いというか、あの妙に薬品で清潔にしたような匂いがする場所だった。

その後1時間ちょい、別室で待機。ここで親戚の住職さんから勧められビールを少々。本当は1時間弱くらいで終わるという事だったけど、祖父は大分時間がかかったらしい。また焼き場のほうに通されると祖父はすでに焼けてスカスカの骨だけになっていた。

祖父は体を患っていた最後の時まで入れ歯などは必要とせず、全て自前の歯だったので本当に調子を崩す時までガツガツ肉を食べてた人だった。歯もしっかり残ってて、ああ、あれはやっぱりじいちゃんだったんだな、とふと思った。

そうしているうちに我々がお骨を拾う番。妹と一緒に足の骨を骨壺に納める。以上で火葬場は終了。

骨壺2個に収まった祖父を伴って駅に近い割烹へ。精進落としの料理を食べて、一般の方は解散。我々近親だけは祖父母の家に一度もどり、最後の処理をすませて祭壇をかざり、お線香をあげた。

その後、今度は自分の家族とともに実家に。供物で出てた果物をとりわけ、俺はやたらとリンゴをもらった。家に帰ってからコンビニに行き、またビールを2本買って、かっくらって寝た。




次の日、大量のリンゴの皮をむき、砂糖、白ワイン、レモン汁と煮込み、コンポートとジャムの中間のようなものを鍋一杯分作った。

メールを見て、日にちがものすごいたっていて愕然とする。そうか、危篤の報をもらったのが一週間前だったのか、などと思いつつ、以上を書いた。ながかった。

残った祖母や、母親には元気でいてもらうためになにかしないとなぁ、とは思いつつ、今のところ何も思いつかないでいる。