秋葉原通り魔事件に関してあちこちで書かれているので、加藤某の置かれていた状況に関しての考察とか多少の共感とか、そういう話もちらほら読んでいるのだが、加藤某の状況とかぶせて孤独がどうとか、彼女がいないのどうとか、仕事がどうとかって言うの読んでると思うのはなんかみんな一様に理想が高すぎる気がする。

読んでると期間工ってのはあまり割の良い仕事じゃないこととか、リストラ云々とか、そういうのはつらいだろうなぁ、って思うけど、それとこれとは別問題じゃなかろうか。

友達がいっぱいいて、わかってくれる人がいて、とかってマンガとか小説だけの話だと思う。

本質的には人間は一人で生きていくもののはずなのに、なんだろう、なんか親友と呼べる人がいないから俺は落ちこぼれ、的な妄想がよくわからない。

俺の周りの人たちは好きだし、感謝してる。これからもうまく、楽しくやっていきたいと思う。でも彼らがいてもいなくても俺は普通に生きていくよ。なんだろう。つきはなすとか線を引くというのとは違うけど、俺は彼らがいるおかげで人生はよくなっていると思うけど、かといって彼らがいないから人生が終わるわけでもない。俺が今まで人生の中で何回も何回もやってきたように違う国に引っ越ししたら、彼らは俺無しの生活になって少なくともそれまでよりは疎遠になるし、俺も彼ら無しの生活にそのうち慣れる。そしてみんな普通に生きていく。ちょっと悲しいけど、そんなのは普通のこと。

友達がたくさんいないと「いけない」とか、親友がいないと「いけない」いう理想もってるのかな。そういう人はいるように努力はしたほうがいいと思うけど、別におまえが一人いなくても生きていけるように、おまえも他の人がいなくったって生きていけるはずなのに。

まぁ、もちろん理想はその両極端のどこか間にあるんだろうからその辺りはバランス感覚の問題だと思うけど。にしてもやっぱり理想が高すぎだよ。金あったって、仕事が楽しくったって、人間はそれぞれ一人なのは誰でも平等だ。




しかしあれだ。上記の件とはまた別の話なのだが、100歩譲って様々なストレス、社会的な問題から通り魔事件に出た事の動機とかを理解したとしよう。それでも敢えて言いたい:「そうやって赤の他人を殺すほどの憎悪なら、最後まできっちり意地を見せて見事に射殺されればよかったのに」

なんなんだ、あの投降映像。赤の他人の命はさくっと5分で終わらせて、それでも自分の命は惜しいのね。だから彼女さえできないんだよ。

悲しい。