地震があった時は当然会社にいた。いつも通り適当なDVDを流しながらヘッドフォンをかけて仕事をしていたため最初は全く気づかず、まわりがガヤガヤ言い出して、それでも自分がコードを書きながら足を踏みならしてたせいかと思った。モニターがガタガタ揺れ始めて初めてなんかやばそうな事に気がついてまわりと顔を見合わせた。
揺れに気づいた時に岩手の友達のほうにメッセージを送ったが、届かなかった(あとで確認)。

25階というせいもあり、途中縦揺れが始まると立ってるのも若干辛くなる。座らずにはいられない。目の前に見える野村ビルがプリンのような感じで揺れていると回りの人が言い出して、それを見る。いよいよやばい気がしてくる。

大分長い。いつ終わるんだ。もっとも、揺れていたのは地面ではなくビルかもしれないが。

だんだん落ち着き始めた頃、遠くのほうで赤い炎が見えた。誰かがあれはお台場のほうだと言う。

さすがにこれはやばいのは誰の目からみても明らかだったのでその時点で誰になんと言われようと妻を迎えに行って家に帰ることに決めてた。まだ若干揺れていたが、手早くいつも通り片付けを始め帰る準備は万端。ラッキーな事にうちの会社は比較的すぐに帰って良い事になったため、回りに軽く声をかけて階段に。

17、8階までおりたあたりで元々そうだったのかどうか知らないが、壁の塗装がはげてるのが見える。これくらいならこのビルは大丈夫だな、と思いつつさらに下へ。上にあがろうとしている人もいるが、正直「今から外に行くならともかく上がるなんてどういうことだ」と思いつつ外へ。

ロビーではたくさんの人がガヤガヤと集まっていた。会社の前の広場では社長を含めて数人がいる。いつもの遅い昼食に行っていたであろう同僚達だろう。

後から調べたところ地震があったのは2時46分だという。3時10分すぎには会社を出ていた。途中埒があかないなーとは思いつつも妻に電話をかけ続ける。会社を出たところで奇跡的に1回繋がり、手短に彼女の安全を確かめた後、迎えに行くからそこにいるよう伝える。その後は夜になるまで妻は当然のことほかの誰とも電話は繋がらなかった。

その時点ではまだどれほどの地震だかわからなかったのでとりあえず新宿駅へ向かって、鉄道がどういう状態なのか見てみようとした。さすがに騒然としている。いつものJRの改札のあたりにさしかかるところで余震。かなり揺れて、駅の中のほうから人がかけだしてくる。

もう混乱しててどこでそう読んだのか、そう確信したのかわからないが、電車が動かなさそうと判断したので、妻の会社方面まで移動。

いつも都内ハイキングと称した散歩をしていてよかった。まったく迷う気がしない。普通の日だったら30分でつく距離だが、さすがに人が多くて進みづらい。途中代々木駅あたりで道が通行止めになっていた。なんでかは全然わからなかったが、ちょっと迂回しててくてく歩く。

途中どこかの店先でテレビに食い入るように見入る集団を発見。ちょうど津波の映像が流れているところだった。ここで初めて「こいつは*本気で*やばい」と思い始める。その時点で妻の声をすでに聞いてなければかなり焦っていたことだろう。とにかくこれで多分交通網は絶望的だからとにかく早い内に帰ろうと余計に決心した。

途中どこかのファミリーマートでお茶を一本購入。店の人達偉い!と思いつつさらに移動。この間ずっとtwitterで状態を確認しながら歩いている。余震の発言とかも見るが歩いているのでよくわからない。あとは知り合いや家族にメール。

歩いている人が実はこの時点で大分少ない。みんなどちらかというとぼーっとしてる感じ。

4時過ぎ、ようやく妻の会社前に到着。自分の持ってる全てのメールアドレスから、妻のもってるありとあらゆるメールアドレスにメールを送信。gmailだけが届くと妻が外に出てきた。妻の会社は下手するとそのまま営業を続行しそうな感じだったらしく、「旦那が来たから帰る」と言って二人で移動。

そのまま歩き続ける。5時過ぎに腹が減ってきた。妻もランチ中に地震があったらしくご飯をまともに食べていなかったらしく同意。でもさすがに俺にいつもつきあって歩いているだけあって、足取りは全く持って普通。いつも横を通るところにある蕎麦屋が営業していたのでそこでさくっと温かい蕎麦を。五臓六腑にしみる。

その後は大きい道を避けて歩く。6時ちょっと前にやっと家の手前に到着。もうここまで来て町並みが被害を受けていないならうちも大丈夫だろうと安心する。あと電気がついている家もちらほら見受けられたので停電もないという確信があった。

家に行く手前でいつも行ってるコンビニに寄った。もうすでに品薄になり始めてたが、まだまだ十分に色々とあったので、おにぎりを二個ずつ、ポテトチップとかの乾き物を少量、それに飲み物をちょっと購入。後から考えるとこの判断も正しかった。

6時ちょうど頃家に着く。twitterとかを見てるとボチボチ帰宅難民の人達が本気の悲鳴を上げ始めている。もちろんすでに大分前から遠距離を歩いてる猛者もtwitterで見てた。日が暮れる前に家にたどり着けて本当に良かった。

家につき、安堵したのか、とりあえずここから先はあんまり記憶に残ってない。テレビを見たり、twitterを見たり。

家族にはその晩連絡がついて、無事を知って安心。

それ以外の人達は翌日の夕方になってメールの返信が届き始めた。みんな俺のメールは比較的早い内に受け取っていたみたいだけど、返事が全然こちらに来ていなかった。

土日があって、次の日からは自宅待機。ある時点からは出社禁止。そしてようやく次の月曜から出社。

というわけでとりあえず 3/11の記憶を記録してみた。特に落ちはない。