色んなところで自分の今までの経歴を話す時に話してるけど、俺は基本的に落ちこぼれです。大学は工学部でComputer Scienceを専攻したけど、イマイチぱっとせず、基本中の基本みたいなコースも落とした事あるし、授業なんて(アメリカの大学なのに)全然出てなかった。自分の専攻のクラスはさすがに退学にされたくなかったんで出てたけど、それ以外の数学、経済、化学、物理、ことごとく出席日数は50%以下だ。物理なんて全行程を通して2回しか出てない。

特に創造力があるわけでもない。若かりし頃、高校生とかその頃は漫画家を目指してみたり、ミュージシャンを目指してみてレスポールを膝くらいの位置に吊って弾いてたりしてみたけど、結局そういうシナプスがばりばり音を立てて何かをゼロから生み出すような事もたいしてうまくなかった。

だから正直大学卒業間際は相当焦ってた。卒業後紆余曲折あって、2年後くらいにNetwork Applianceという会社に入社できた時もまだ何も出来ず、俺はいつクビにされるんだろうと悩んでいた(まぁ、それとは別に俺は別にコンピューターの仕事をしなくても飯を食う分くらいには金は稼げるだろうという楽観的な意見もあったのだが)。

卒業後 からひどい貧乏なアメリカ生活を送っていたからその生活には戻りたくなかったし、かといって俺は使えない人間だったから仕事もあまりないし・・・。そんな状況で出来る事と言ったら一つしかなくて、それは自分でやる事を見つけて、とにかくそれを愚直に突き進めて行く事だけだった。

当時社内に初期開発後しばらく忘れられていたツールがあって、それが何かの話のおりに話題にあがったので、ふと興味を持ってそのツールを見てみる事にした。なんせ仕事ないしな。

ソースコードを読み解く事数日、どうにかこうにかなんとか何をやろうとしているのか分かってきたので、その時になっておずおずと当時のボスに「これ・・・動かせるようにしてみてもいい?」と聞いた訳です。返事は「おお、いいよいいよ」別になんの期待もなさそうだけど、そりゃそうだろ。仕事もねぇしw

そのツールは結局2ヶ月近くかかって動かす事に成功した。実はその間に日本に強制送還、もとい、ビザが切れたので日本支社で働く、というような事になってたりしたので微妙な環境だったのだが、それでもリモートから作業してなんとか動かした。

このツール自体はその後数年間運用されて、結局政治戦争に敗北した我が部署が乗っ取られたのでスクラップになったのだが、まぁそれはともあれ、この時自分は21か22。その語2年前後でCPANにモジュールを登録したりするようになっている。

ちなみに俺のような人間がCPANに出会えたのは幸運以外の何者でもないと思う。自分の才能のなさをどうしようというときに、自分がただのでくの坊だとさえ認められれば、「あとはCPANから借りてきました><」で自分の作りたい物が作れて、仕事になる。時々見つける事のできる細かいエラーとかを報告すればそれはそれで貢献できる。あきらかにWin-Winじゃんね。

ともあれPerlやCPANとの出会いはそこからだし、やはり明らかにターニングポイントはその掘り起こしてきたツールだったなぁ

学校を卒業して11年たった今、自分が「すごくなった」って全然思わない。今でも上に人がいすぎて(しかも最近は若い人がどんどん自分の上に来るし)悲しくてしょうがない時もあるし、なにより自分の才能を自分が信じてない。

そのかわり自分はでくの坊だと認められた。そしてその後はただひたすらコードを書いてきた。それだけは自分の自信につながってきてる。

天才でない人は愚直に書く、ノウハウをつける、積極的に手を動かす。人の意見を素直に取り入れる。これしかないんだと思うよ。才能の無い人が出来る事はそれだけだけど、それを続ければ何かが実るはず。

今は必死で手を動かしてるときっと後で戻ってくるものがあると、天才ではない、大多数の後進の方達には言ってあげたい。